メイド・イン・栗駒に込める思い「キャノライン・ジーンズ」

栗駒ビッグフォー
中国やベトナムに生産拠点を置き、徹底したコスト削減の下で乱製される低価格ジーンズが注目を集める現在。そんな中、栗駒の地で30余年にわたってひたむきに稼働を続ける一つの工場がある。デフレの波や不況、そして震災に揺れながらも、工場とそこで働く従業員たちを守り続けた父親から譲り受けた糸。いくつもの思いが込められたその糸で紡ぐ藍色の結晶、それがキャノライン・ジーンズだ。

30年の道のりを創業者、狩野英徳氏に聞く

—まずは、会社の成り立ちを教えてください。

もともとこの辺りは大手から中小零細まで、多くの縫製工場がひしめき合っていました。当時の栗駒は農業と林業が産業の中心でしたが、1965(昭和40)年ごろから工場が増えたことで縫製に携わる人たちも増え、にぎわいを見せていたんです。そんな中で私も3人の仲間と1975(昭和50)年にビッグフォーという会社を作り、工場を建てました。結局、仲間の3人は辞め、いまでは私ひとりになってしまいましたが、名前は当時のままにしてあります。

—それほど縫製が盛んだったこの地に、今はこの工場しか残っていません。

私たちが工場を立ち上げてすぐ、オイルショックがあって大きな打撃を受けました。それから5〜6年かけて立ち直ってきたんですが、1980年代に入ると日本の経済成長とグローバル化に伴い、大手企業は製造業からブランドメーカーへと軸足を変えていきました。その結果、人件費の低いアジアに生産拠点を移すようになって各社が工場を閉鎖。国内メーカーの下請けが主だった我々のような小さいところはその影響をもろに受け、どんどん値段を叩かれ、耐えきれないところが次々と工場をたたんでいったんです。「俺のところもおしまいにするよ」という言葉を聞くのが辛かったですね。

—中国の生産現場をご覧になったこともあると伺いました。

数年前、中国のある工場の立ち上げに携わったことがありました。日本にいて海外の話を聞くのと、向こうで片足を突っ込んで様子を見るのとでは全然違って、国内の縫製は2〜3年後にはますますひどくなるなと確信しました。人件費が安いということで粗悪な仕事をしているイメージがあるかもしれませんが、実際には向こうのレベルもどんどん上がっています。なぜだか分かりますか? 向こうで縫製に携わっている人たちは10代後半〜20代と若く、飲み込みも早く器用で、40代〜50代が中心という日本とは違うんです。

—それでも続けてきた理由は。

そりゃ何度も辞めようと思いました(笑)。しかし、私がこの工場をつぶしたら、ここで働いてくれている30人の従業員たちはどこへ行くのかと。農業や林業も衰退してしまい、ほかに産業と呼べるものがないこの町では、特に女性が働ける場所がなかったんです。だからとにかく工場を動かし続けた。いくら作っても作っても赤字でしたが、工場が動いている限りはそこに働く場所があるんです。

—息子さんの意志を聞いた時はどう思いましたか。

ここまでやったんだからもういいだろう、あとは一定のペースでやれるところまで続けていこうと思っていたんです。だから息子が継ぎたいと言ってきた時は、うれしかった反面、これは本当に大変なことだと言って聞かせました。オリジナルブランドの立ち上げについても実は猛反対したんです。ただでさえ大変な時代なのに、さらにリスクを背負うようなことですから。だけど、やると言って聞かない。少しは親の話を聞けって言うんですよ(笑)。まあでも確かに、これまでと同じように工場を続けていくだけでは、また時代の変化に飲み込まれてしまう。これからの時代をつくっていくのは息子たちの世代ですから、責任の取れる範囲でやらせてみようと思いました。幸い、取引のある商社の担当者が興味を持ってくれて、繊維を提供してくれたことも好材料でした。

—「キャノライン・ジーンズ」に期待することは。

私たちには、公にはできないけれども、一流ブランドの製品を作ってきた技術がある。大量・低コスト生産を求められたらとてもじゃないけど中国の工場には勝てませんが、「本当に良いもの」が何かを知っているし、30年もやっていると馬鹿の一つ覚えのようなもので、それを作る技術もある。栗駒で作られたジーンズを履いて、これはあまり有名じゃないけど実にいいものだと。それで改めて栗駒のこの小さな工場だけでなく、国内にある「ものづくり」の力を再発見してもらえたらうれしいと思います。そのことが、地元に留まって産業に携わる若い人たちを増やす結果にもつながっていくのではないでしょうか。

  • ビッグフォー代表取締役、狩野英徳氏。ビッグフォー代表取締役、狩野英徳氏。
  • 穏やかな栗駒の風景。穏やかな栗駒の風景。かつては縫製工場が立ち並んでいた。
  • 30年以上の積み重ねによって築かれた一つ一つの技術。
    30年以上の積み重ねによって築かれた一つ一つの技術。
  • 自らの苦労を重ね合わせながらも、息子の夢を陰で支える。自らの苦労を重ね合わせながらも、息子の夢を陰で支える。

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